私(社労士モリ)の「パワハラ被害」体験と雑感

トヨタ自動車が、上司によるパワハラが原因で自殺した元社員の遺族と和解した・・という記事を見て、自分自身の昔の姿を思い出した。

 

私も、20代の頃に勤務していた会社で、日常的にパワハラを受けていました。

 

営業職だったので、売上数字、目標数値などに追われ、常にプレッシャーを感じながら働いていました。

 

自分では真面目に、真剣に営業していても、結果が悪ければ、上司に詰め寄られ、挙句の果ては、「出来ない奴」「ダメな奴」「やる気のない奴」・・・のレッテルを張られ、

 

毎日が辛く、出勤するのが嫌になる日もありました。

 

営業会議では、数字がよくて当たり前、悪けりゃ罵倒され、自分でもよく耐えていたと思います。

 

当時は、今と違って、「パワハラ」なんて言葉じたい存在せず、テレビのCMで、「24時間戦えますか?!」なんてセリフが流行ったりしていて、残業も厭わずに働く人が「善」で、有休休暇をとる人は、「やる気のないダメな奴」と言われていた時代でした。

 

この当時の辛い想い出が、今、「社労士」として自分自身の仕事に、「パワハラのない明るい職場づくり」という大テーマを課す大きな契機になっていると思うのです

 

 

上司や先輩による厳しい叱責(というより乱暴な言葉遣いでの罵り)は、ときに部下を奮起させ、成長への原動力になるかもしれない?????。

 

私は、正直言って、そうは思いません。

 

むしろ、部下に「脅威」を与え、「悲しい」「不快感」「憎悪」の感情を抱かせるだけであり、プラスのエネルギーが湧くことはありません。

 

 

「人格否定の言葉」(ばかやろ~、ダメな奴、やめちまえ、無能な奴、出来ない奴・・・など)は、相手の自尊心を傷つけ、「憎しみの感情」を与えこそすれ、決して「自分のためを思って言ってくれているんだ」とか、「ありがたい」とか、絶対に思うことはない!

 

私自身、体験的にそう実感しているから・・・・。

 

 

私が営業職をしていた頃、上司から怒られ、乱暴な言葉で罵られ、ときには頭を叩かれたことを、今でも鮮明に覚えています。

 

いまだに、その上司のことを思い出すと、やりきれない不快感に襲われてしまうほどです。

 

当時、私は、上司に怒られながら、いつも思っていたのは、

 

「私が上司の期待に応えられないから、怒られるのは仕方ないことだ。」

 

「しかし、怒られることによって、自分自身の心はズタズタに傷つけられている。」

 

「そんな傷ついた精神状態で、営業でよい成果が得られると、この上司は本気で考えているのだろうか・・・?」

 

当時の上司には申し訳ないけれども、

 

「この上司は、部下である私のことなんて、本気で育てようとは考えていないのだ。」

「ただ、自分自身の苛立ちを部下である私ににぶつけているだけなんだろう・・・。」

「上司は、出来の悪い私を早く辞めさせたいのだろう。」

 

と、私は心の中で、いつも思っていました。

 

でも、表面上は、

「私のためを思って、きついことを言ってくれてる。」

「上司には、感謝してます。」

なんて、内心とは裏腹なことを言っていました。

 

当時の私は、本当に毎日が辛く、心を病み、顔で笑って心で泣いていました。

 

営業マンなので、得意先では、努めて明るく振る舞うのですが、とてもとても無理があったと思います。

 

「悲壮感を漂わせた営業マン」なんて、売れるわけないですよね?!

 

まさに、パワハラが生む、悪循環と言えます。

 

 

営業職は、何より成果が問われる職種であり、特にパワハラが起きやすいといえます。

 

営業活動を頑張っていても、成果が見えなければ、上から「何やってるんだ?!」と詰められる。

 

部下を責める上司も、さらにその上司からプレッシャーを受けている。

 

つまるところ、パワハラが起きやすい職場とは、会社のトップが「数字至上主義」に陥っている。

 

いや、経営には数字が大事だということに異論はない!

 

しかし、その数字を上げるのは、他でもない、「人」なのである。

 

感情を持った「人」なのである。

 

「人」に快く、やる気に満ちて、イキイキと活動してもらうことで、自ずと成果が上がり、数字も上がってくるのである。

 

怒鳴る、罵声を浴びせる・・・ことで、果たして、人はイキイキと活動できるのだろうか???

 

答えは、NO! である!!!

 

 

 

営業職の頃の私は、月曜日の朝が最も嫌でした。

 

なぜならば、毎週月曜日の午前中は、チームの営業会議で、売上数字の詰めが行われるからでした。

 

その会議では、常に、上司の機嫌が悪く、会議室に無言で入ってくる瞬間は、なんともいえない嫌な緊張が部屋全体に充満していました。

 

数字が良くても、ほめられることはなく、数字が悪ければ怒鳴られる。

 

 

会議が終わるころには、すっかり意気消沈して、その週の営業活動がスタートしていました。

 

そんな非効率的な、ある意味、とても理不尽な割り切れない気持ちで、日々活動していた営業職時代でした。

 

 

ムチを打って、自分の思い通りに働かせようとする。

 

これではまるで、奴隷扱いである。

 

まあ、そこまで極端ではないにしろ、きつい言葉で精神的プレッシャーをかけて、気合を入れようとする。

 

スポーツのような、歯を食いしばって、力を振り絞るような世界であれば、このような手法も場合によっては功を奏するのかもしれない。

 

しかし、「営業」という仕事が、スポーツと同様の手法で効果を上げられるかというと、はなはだ疑問である。

 

歯を食いしばって、悲壮感を漂わせている営業マンから、喜んで商品を買おうという客は、ほぼいないだろう。

 

いたとしても、それは「同情」や「憐れみ」からであって、決して満足感とか喜びはなく、二度とリピートはしないだろう。

 

かく言う私も、営業職の時代を振り返ると、悲壮感の漂った営業マンだったと思う。

 

当時は、パワハラなんていう言葉自体がなく、「いやなら辞めろ!」と、当たり前にように上司から言われていた時代でした。

 

辞めれば、「負け犬」というレッテルを張られ、それが悔しいから歯を食いしばって耐えていた。

 

ただ、それだけでした。

 

その発想からは、前向きなエネルギーや発想などは微塵もなく、「いかにして怒鳴られなくて済むか・・」しか、考えていなかった。

 

 

 

上司と後輩が組んで、私にパワハラをしてきたこともあります。

 

心を病んでいた当時の私は、何事にも卑屈になっていて、後輩からも舐められていました。

 

私のことが嫌いな上司と、私を舐め切った後輩たちが、徒党を組んで私を責めてきました。

 

これはまさしく、「集団」というパワーによるハラスメントになります。

 

私を責めた人たちは、きっと、自分たちの思うようになってくれない私に対する苛立ちを、ぶつけていたのでしょう。だから、あの人たちはそれなりに理由があってそうしていたに違いありません。

 

でも、そのように「された」私自身にとっては、酷く屈辱的で、決して忘れることのできない心の傷となって残っています。

 

これを書いている今も、当時のことを思い出すと辛くなります。

心に負った傷は、生涯、消えることはないですね。

 

そして、あの人たちには、二度と会いたくないと思っています。

 

 

 

 

パワハラは、相手の活力を奪っていく、マイナス効果しか生まないことを理解してほしい。

 

いわゆる「いじめ」と、同等の行為だと、私は思うのです。

 

暴言、大声での威嚇、叩く、蹴るなどの暴行は言語道断ですが、屈辱的な対応なども、暴行に等しいくらいのハラスメント行為です。

 

パワハラを行う人は、自分自身のストレスを、パワハラ行為を通じて解消しようとしているのです。

 

学校で起きている「いじめ」も、全く同質だと思います。

 

家庭で、学校で受けたストレスを、弱い者いじめを通じて、解消しているのです。

 

いじめなんて、子供の世界だけの話だと思ったら、大間違いです。

 

いじめっ子は、必ず言います。「いじめられる方が悪いんだ!」と・・・・。

 

パワハラ加害者も言います。「相手が悪いのだ。」と・・・・。

 

いじめられる方は、決まって、相手よりも弱い立場の人。

 

力関係が対等なら、「ケンカ」になり、

 

対等じゃないから、「いじめ」になる。

 

弱い者いじめ・・・、それがパワハラの本質だ。

 

大人の世界で、弱い者いじめが行われている。

 

そんな大人たちを見て、子供が学校で「弱い者いじめ」をするのだ。

 

 

 

なんだか、とりとめのない話になってしまったな~・・・・。

 

つまるところ、相手をもっと思いやる気持ちをもとうよ・・・ってこと。

 

 

 

自分と他人は、考え方も、価値観も、性格も、家庭環境も、生活環境も、生きてきた過程も、全部が違っていて当たり前。

 

一つの言葉の受け止め方も、人それぞれで、感じ方も、受けとり方も違っていて当たり前。

 

こうしたら、普通、こう感じるだろう・・・とか、

 

こう言われたら、こう思って、このように行動するのが当たり前だろう・・・とか、

 

そんなふうに考えること自体が、パワハラを生む土壌になる。

 

人は、自分の考えるように動いてくれて当たり前??・・・そんなわけないのである。

 

 

なんでもかんでも、すぐ「パワハラだ!」と、言われてしまい、何も注意指導ができない!

 

と、お嘆きの経営者や管理職の方が少なくないのも、現実です。

 

 

それは、労使双方の、「パワハラに対する認識不足」が最大の原因です。

 

貴方は、

 

「パワハラとは、何か?」

 

この問いに、正確に答えを言えますか?

 

 

 

残念ながら、世の中の大半の人は、パワハラを正確に理解していません。

 

だから、上司や目上の人から、少し強い調子で叱責されると、すぐに「パワハラだ!」と騒ぎ立てるのです。

 

 

パワハラの定義は、労働施策総合推進法に定められております。

 

 

「パワーハラスメント(いわゆる「パワハラ」)とは、

「①優越的な関係を背景とした」、

「②業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により」

「③就業環境を害すること」(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること)をいう。

 

 

この定義には、3つの条件が挙げられていて、この3つの条件がすべて揃うと、「パワハラ」ということになります。

 

この3つの条件の中で、最も重要なポイントとなるのが、

「②業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により」

という部分です。

 

例えば、

上司から(優越的な関係を背景に)

強い叱責を受けて、精神的な苦痛を受けた(就業環境が害された)

という場面を考えてみましょう。

 

上記の3つの条件のうち、①と③は、明らかに揃っています。

 

では、②「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」があったと言えるのでしょうか?

 

つまり、その叱責が、「業務上必要なものであったのか?」 「相当な限度を超えたものであったのか?」が、問われるということです。

 

 

わかりやすくいうと、

 

叱責が、「人格否定の言葉遣い」であったり、「必要以上に精神的に追い詰めるようなもの」であったりした場合には、「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」であったと言えるでしょう。

 

しかし、そうではない場合は、必ずしもパワハラとは断言できないことになります。

 

上司に少しばかりきつく叱責されたからといって、必ずしも直ちに「パワハラ」とは言えるわけではないのです。

 

 

 

「上司が委縮して、部下を注意指導できない。」

 

「なんでもかんでも、すぐに「パワハラだ!」と言って、騒ぎ出す部下がいて困っている。」

 

 

そんな職場にこそ必要なのが、「パワハラ防止研修」です。

 

研修を受けることによって、労使ともに「パワハラに対する正しい認識」が出来、より働きやすい職場づくりが実現します。

 

受講した人は、「何がパワハラに該当し、何がパワハラに該当しないか」・・が、判断できるようになります。

 

 

 

パワハラ防止研修は、管理職だけでなく、一般従業員にも受けてほしいです。

 

 

幣事務所でも、研修の企画や講師など、積極的に企業をご支援しておりますので、お気軽にご相談ください。

 

 

※ 来年(2022年)4月から、中小企業にも「パワハラ防止法」が適用されています。

 つまり、各企業には、「パワハラ防止措置」に取り組むことが、法律によって義務付けられています。

 

でも、具体的に、何に取り組めばよいのか・・・。

 

 

お気軽に、モリ事務所までご相談ください。